
- 平成16年7月1日・通巻第99号
残さねばならない大切なもの
先日、岡野弘彦さんの講演を伺う機会がありました。
岡野弘彦さんといえばご存じの方も多いと思いますが、現代日本の和歌の第一人者で、昭和天皇の作歌のご相談役を務められたほか、皇太子殿下、雅子妃殿下にも和歌の御進講をなさっておられ、宮中歌会始の選者のお一人でもあります。
平成5年の第61回神宮式年遷宮に、内宮の西の御正殿内庭で、文化人として選ばれた岩城宏之・山折哲雄の両氏とともに庭燎(ていりょう)所役を奉仕され、その時の心境を詠まれた和歌を披露されました。その中の一首。
わが前をいま過ぎゆける魂の
白きゆらぎを忘れじとする
庭燎の火も消された浄暗の静けさの中、純白の絹垣(きんかい)に囲まれながら大宮司が御(ぎょ=ご神体)を奉戴し、東の正殿へ遷御の瞬間であります。
月しろはのぼりたるらし
新宮のかがやく千木に光さしくる
このとき、一緒にいた岩城宏之氏が「この状況はいったい何なんだ」と尋常ならざる感動を押さえきれず、声を出されたそうです。
もちろん、遷御の儀は秘儀中の秘儀でありますが、その場に居あわすことが出来た岩城氏は、日頃西洋文化を実践しているからこそ、人一倍大きな感動を得られたのでありましょう。
岡野先生は岩城氏に「目に見えぬ、とてつもない大きなエネルギーが遷(うつ)って行かれた」と説明されたそうです。
今の人々は、ハレの日と日常との区別が付かなくなってしまった。ハレのエネルギーが日本人の生命・いのちを蘇らせてくれる、その大切なハレの日が消えようとしている。だから感動が無くなってしまったんだとも話されました。
また、歌は表記される文字(意味)よりも、調べが大切。和歌、短歌は調べから入り、意味は後から付いて来るものです。今の日本は実用万能の世の中になってしまい、言葉が乱れてしまいました。格調高く悠々とした調べこそ、歌のいのち、日本語のいのちであるとも語られました。
千三百年に亘って連綿と受け継がれてきた神宮式年遷宮の儀式は、日本人のいのちの継承の歴史でもあります。第62回の式年遷宮は、平成25年に本番を迎えます。明平成17年には御用材を伐採する最初の儀式が斎行され、全国民挙げての奉賛を得て、いよいよ始められることになります。
私たちは、祖先から受け継いできた大切なものを、今なくしそうになっています。何とか叡智を集め、互いに力を合わせながら、大切なものを間違いなく伝えていく努力をしなくてはなりません。
- 平成16年4月1日・通巻第98号
今問われる日本の自覚
狂牛病に続いて、鳥インフルエンザの問題が大きな社会問題となっていますが、その陰で殆ど報道されない、私たちにとってもっと大きな問題が提起されていることをご存じでしょうか。
今年の大学入試のセンター試験「世界史」で、「朝鮮人の強制連行があった」と答えなければ正解とされない問題が出されたのです。近年の歴史研究でも根拠がないと分かってきて、世間からは随分抗議の声が上がったようですが、殆どのマスコミは報道しませんでした。
では何が問題なのでしょうか。まず、学問的に疑われている学説のみを正解とするような出題は「教育の中立性を」損なうということです。センター試験は大半の大学が参加しますから、受験生は「強制連行」があったという歴史認識をいわば強制されることになってしまいます。
次に、なぜこのような問題が出されるかというと、大学入試センター当局の言い分は、教科書に載っていれば試験に出題出来るというものです。要するに「強制連行」が事実かどうかより、全てではなくても、一部でも教科書に載っていれば出題することが出来るというわけです。
学問的に疑われる「強制連行」が教科書に載るのは、昭和57年8月に朝日新聞の教科書誤報事件が起き、当時の宮澤官房長官の「政府の責任において教科書を是正する」という談話に基づき、教科書検定基準に「近隣諸国条項」が追加されたことが、その大きな要因であります。
北朝鮮は拉致問題追求をかわすために、国連などの場で繰り返し、日本が「半島占領時代に八四〇万人を強制連行した」と主張しますが、それに対し日本政府外務省は全く根拠のないことと、明確に反論しています。しかし教科書には載せているという矛盾した現実があります。
拉致被害者とその家族全員奪還が、日本の国家的課題となっているこの時に、入試センターがわざわざ北朝鮮の主張を後押しするような出題をするのは、問題解決に水を差す意図的なものと、強い疑念を抱かざるを得ません。
ある大学教授は、結局日本人は無関心だと言います。無理矢理連れてこられたのなら、終戦と同時に帰国するはずだが、そんな事実はない、とも。
絶えずロシア、中国から脅威にさらされる半島国家にとって見れば、巧みに人を欺き、はかりごとを以て国益を守ろうとするのは当然のこと。四方を海に囲まれた穏和な日本では及びもつかないことでありましょう。北朝鮮の「強制連行八四〇万人」の発言に、日本の大物政治家でも国益も顧みず「悪いことをいたしました」と検証もなしに謝罪をしてしまいます。
今まさに、私たち日本の自覚が問われているのです。
- 平成16年1月1日・通巻第97号
>日本再生の鍵「国語教育」
神社の祭礼などで神様に奏上する祝詞の文章は、置き換えにくい言葉は現代語を使用しますが、基本的に歴史的仮名遣いの文語体を使います。
戦後教育のお陰で、専門の神職でも文語体には大変苦労しますが、文語体に慣れ親しんでくると、誠に格調が高く、文章に情緒と力強さを感じます。
特に祝詞は、神様にまつりを通してお喜び頂く、またはお慰め申し上げる事を期待して奏上するものですから、耳触り(語呂)が良くなくてはいけません。万葉集のリズミカルな美しさをもった語呂を取り入れ、文語調で格調高く神様に申し上げるのです。
日本では「ゆとり教育」や「個性尊重」などの美辞麗句で形容された教育が始められた二〇年ほど前から、校内暴力や学級崩壊が始まりました。受験戦争や学力重視の指向を悪ととらえ、実施されたゆとり教育は、今完全に行き詰まってしまいました。戦後のあまりにも行き過ぎた個の重視が、ここへ来て様々な混乱を招いているようです。
子供たちの学力は坂道を転げ落ちるように低下し、大学では、高校レベルの内容を再度教えなくては授業に入っていけないと言うありさまです。
これらの原因を「我慢力不足」と見る学者がいます。子供を甘やかし、おもねる事が、子供から我慢力を失わせ、その我慢力不足がもたらす更なる弊害は、読書離れだと指摘します。確かに、分厚い学問書を一冊読み通すには相当な我慢が必要です。
我慢力を養い、勉強の基礎をしっかり身に着けさせるには、小学校四年まで授業の大半は国語にあてるべきで、いわゆる読み書きそろばんを、しかも「読む」ことをしっかり訓練し鍛えることで、自ら進んで知識を増やしていくことが出来ると語っておられます。
また最近の研究で、音読や単純計算の繰り返しにより脳の前頭葉の血流が増し、ものごとの創造性に大きく関係してくることが分かってきました。
日本の文学は世界に秀でたレベルであり、記紀万葉集に始まり、源氏物語の紫式部、俳諧の芭蕉など、古くから数世紀に一人といわれるような天才を、何人も輩出している例は他国では見あたりません。文学に限らず、和算に始まる数学でも、多くの天才を輩出しています。
これには、日本人の自然への畏敬の念、そこから生まれた美的感受性、そして武士道精神のような精神性を重んじる気質など、神道に代表される伝統文化が、深く関わっているのです。
日本人の自信と誇りを取り戻すためにも、伝統文化を尊び、母国語である国語、そして日本の宝、古典を幼い頃から教えることが必要だと思います。
