• 平成13年7月1日・通巻第87号

日本人としての誇り

新しい歴史教科書が市販され、大きな反響を呼んでいます。多くの皆さんが書店で手にとってご覧になったと思います。
ところが御承知のようにこの教科書は未だ検定を受ける前から、人の目に触れることもないのに、歴史をねじ曲げた教科書などと言われ、早速中国や韓国から批判が起こりました。「歴史認識」という決まり文句を持ち出しての、内政干渉には内心納得いかない気持ちをお持ちの方は多いと思います。
ここで言う「歴史認識」とは、日本が先の大戦に敗れ、戦勝国が敗戦国の戦争行為を一方的に殺人罪として裁いた極東国際軍事裁判の法廷に於いて、作り上げられた歴史像に基づくものなのです。

後にこの裁判の最高責任者であるマッカーサー将軍が、あの戦争は侵略戦争ではなく、日本が経済制裁を受けやむを得ず行った自衛戦争だったと述懐しているように、アメリカを始めとする西欧の識者たちは声をそろえて東京裁判の不当性を批判しています。
しかし、この東京裁判史観は戦後の日本の教育に大きな影響を及ぼしてしまいました。日本は他国を侵略し、罪もない人々を虐殺した悪い国だ。戦争に行った自分たちのおじいさんはなんて悪いことをしたのか、などと子供たちが現実に感想文に書いています。自分が日本人であることに嫌悪感を抱いてしまう、こんな子供たちを育ててしまいました。そして自由と勝手を混同し、自分の国に誇りが持てないでいるかわいそうな子供たちの姿があります。
特にこの十数年ほど、子供たちの不登校やいじめ、学級崩壊、青少年の凶悪犯罪などは目に余るものがあります。
文部省の学習指導要項には歴史教科書は「我が国の国土や歴史に対する理解と愛情を深める」ことが出来るものとあります。

「新しい歴史教科書」には日本がその歴史を通じ、常に自らを見失うことなく、柔軟に外の世界から文明を取り入れる姿勢を基本とした国であることが、全体の流れの中に明瞭に叙述されています。
これは正に菅原道真公の「和魂漢才の精神」であり、子供たちに日本人としての誇りと、未来に希望を持たせるのが、歴史教育の大切な役割なのです。

 

  • 平成13年4月1日・通巻第86号

菅公の精神「和魂漢才」と「忠誠心」

御祭神菅原道真公が大変お好みになられた梅の花は、開花がやや遅れたものの、今年も優雅な美しい姿を見せてくれました。
梅や菊は中国から伝えられた外来種であることは御承知のことと思います。しかし日本の梅も菊も中国伝来のままのものではなく、品種改良が進み、日本の春と秋を代表する花木となってきました。
道真公はこの梅と菊をことのほか好まれたようで、「菅家文草」「菅家後集」の詩や歌に多く歌われています。

しかし道真公は、梅や菊以外の日本の在来の桜を始めとする花木に無関心であったわけではありません。讃岐の守から都へ戻られた折、宇多天皇から「春・桜花を惜しむ」という御題を頂き「人みな花を見て松竹を見ず、願わくば松竹を見たまえ」とも歌われています。つまり春となれば花、花といえばあでやかな桜ばかり人は愛でるけれど、年中緑の雄々しい松や、雪にも堪えて折れる事なき竹も忘れないで欲しいとの意を込めておられます。
日本人は古来の桜や萩を大事にしながら、同時に外来の梅や菊も受け入れて大切にしてきました。そして、外来の文化を日本的に昇華させてきたのです。主体性を保ちながら外来の文化を積極的に取り入れ、在来の文化と融合させて新しい独自の文化を創り出していく。これこそが道真公の学問や政治に見られる「和魂漢才」であります。

更に道真公の、無実の罪で筑紫の国の謫居(たっきょ)にあっても、天を怨まず、人を咎めず、非常な逆境の中でもむしろ皇恩に感謝し、純粋に天皇陛下をお慕い申し上げておられた忠義の誠、即ち「忠誠心」に、人々は感銘を受け尊敬申し上げてきたのです。

道真公は「和魂漢才」と「忠誠心」を学問・文化や政治の上で自らの生き方で実践された方であり、これが柱となり学問の神、連歌の神、芸能の神、正直の神、冤罪を救う神などの信仰を産み、天神信仰として発展してきたのです。
菅公の精神は、私たち日本人が今の混沌とした時代をどのように歩むべきかを明確にお示し下さっていると思います。

 

  • 平成13年1月1日・通巻第85号

祈り・それは生かされていることへの感謝の心

新年明けましておめでとうございます。皆様にはお揃いで平成辛巳年の輝かしい新春をお迎えになられたことと存じます。
新年の天神さまは、初詣と共に受験合格を祈る皆さんが大勢お越しになられます。苦しい受験生活を終え、新しい学校へのきっぷを手にしようと、家族連れや友達連れの皆さんの熱心に祈る姿が見られます。もちろん初詣の皆さんも、今年こそは自分にとって良い年でありますように、去年叶わなかった願いが今年こそは叶いますようにと祈っておられるのでしょう。

ここで皆さんに本当のご祈願の仕方をお話ししたいと思います。それは神さまに、理屈抜きに無心になって「ありがとうございます」と感謝することなんです。願いが叶ってもいないのになぜ「ありがとうございます」と感謝をしなければいけないのか、とお考えになられるでしょう。しかし、本当の祈りは理屈抜きに「神様に感謝申し上げる」ことから始まるのです。
岩津天満宮では年間約50回の恒例祭典と毎朝の日供祭祈祷と一般のご祈祷などを執り行いますが、これらのお祭りは単なる願い事でなく、ひたすら神様のすばらしいお力を認め、神様の御名をほめたたえてお喜ばせ申し上げ、そして私どもが生かされていることへの感謝の心を、祝詞として申し上げているのです。
日本人は悠久の歴史の中でこのことをずっと行なってきました。祭りを行い、神様やご先祖様に感謝する。そうすれば神様は必ず私達にお恵みを下さるのです。

我欲を捨て、お互いに生かし生かされることに理屈抜きで感謝する。今の世こそ、この心がとても大切な時だと思います。神社の祭りの、神様をひたすらお喜ばせし、生かされていることに感謝する心は、私達の祖先がその永い歴史の中で培ってきた日本人の生き方であり、これが祭りの本質であり、祈りの本当の姿なのです。
今年こそは本当の祈り、ありがとうございます、感謝の心を捧げる祈りを、皆さんと共に実践していきたいと思います。