
- 平成22年3月1日・通巻第126号
御神橋「太鼓橋」建立のご報告
此の度多くの御参拝の皆さまをお迎えする石造りの御神橋が、正面石段下に美事に竣功いたしました。花崗石製で、長さ五メートル巾三メートルの立派な太鼓橋です。
平成二十三年竣功を目指す「岩津天満宮本殿再興百年記念事業」のさきがけとして建立し、四百本あまりの梅が、美事に花を咲かせ馥郁とした香り漂う二月二十八日日曜日、岩津町に住まわれる三代揃いの三夫婦のご奉仕を得て、渡り始め式も無事終える事が出来ました。
全国には御神橋を有す神社は数多く存在します。特に神様がお渡りになる橋としては、その形から太鼓橋と呼ばれる橋が多く見られます。神社の御神橋・太鼓橋として有名なものは、大阪の住吉大社、東京亀戸天神、鎌倉鶴岡八幡宮、九州の太宰府天満宮、滋賀県多賀大社などがあります。参拝者の渡る事が出来る橋や出来ない橋もあります。
御神橋・太鼓橋の多くは、本来神様若しくは勅使がお渡りになる橋で、人の通行は出来ませんが、人の通行が出来る橋でも、危険防止の為に通行を止めているところも多いようです。
御神橋は、神社などの神域へ入る為の架け橋であり、聖と俗との境でもあったようです。俗から聖の域に入るには、橋を渡る事によって祓い清める意味もありました。
岩津天満宮の御神橋・太鼓橋は、参拝者が渡ることによって心身ともに祓い清め、御自身に諸々の災いを兆す前に、禍事災厄を祓い退けるという祈りを込めて建立いたしました。また、御神橋や太鼓橋を渡ってお参りすると縁起が良いとか、ご利益を得られるとも言われております。
今回の渡り始め式では、伊勢神宮の宇治橋の渡り始め式に倣って、三代揃いのご夫婦にご奉仕を頂きました。岩津町にお住まいで岩津天満宮総代でもある近藤金二さんの奥様には、主役である「渡り女(わたりめ)」をお勤め頂き、子供夫婦、孫夫婦の三代揃いのご夫婦でご奉仕頂きました。
また古式に倣い、注連縄切りの儀式も取り入れました。御神橋の清祓いを終えた後、渡り始める前に、橋に張り渡された注連縄を刀で切り開く儀式で、御神橋太鼓橋の弥栄と岩津天満宮の灼然(いやちこ)を祈り、天神地祇の御加護を頂いて、巌しく美はしく渡り始めの儀式を終えられますように、との口上を申し上げて、神刀で注連縄を断ち切ります。その後、召立之儀にて奉仕者を順に呼び上げ、列を整えて新しい御神橋を渡り、渡り始め式を無事終えることが出来ました。
岩津天満宮の新しい名所「御神橋」の完成で、正面石段を歩いてのご参拝が増えると思います。是非新しい御神橋をお渡りになり、岩津の天神さまのご神徳に浴され、御加護を得られますようお祈りいたします。
- 平成22年1月1日・通巻第125号
比類なき日本の国柄
新年明けましてお目出とうございます。輝かしき平成二十二年庚寅(かのえとら)歳の新春を迎え、皇室の弥栄と聖寿の萬歳を寿ぎ奉り、岩津天満宮ご崇敬皆々さまの御平安をお祈りいたします。
天皇陛下におかせられましては、昨年御即位二十年・御成婚五十年をお迎えになり、両陛下お揃いにて愈々お健やかなご様子、洵に喜ばしきことと存じます。
元旦の未だ明けやらぬ早朝五時半には御所の東庭に剣璽を伴われてお出ましになり「四方拝の儀」を執り行われたことと存じます。「四方拝」とは元日の早旦、寅の刻に天皇が天地を拝して、その年の災厄を除き、幸福を祈られる儀礼として、平安時代初期には成立し、殆ど現在まで連綿と厳修されて来た新年最初の宮中祭祀であります。本来であれば天皇以外は禁色である黄櫨染(こうろぜん)の御袍の束帯姿で、剣璽を伴われて出御になり、宮中三殿横の神嘉殿前庭に厚畳を二双の屏風で囲んだ御座から、伊勢の神宮を始め天地四方、先帝の山稜を拝し奉り、国家国民の安寧と平安の祈りを捧げられるのです。
しかし、残念ながら陛下のご高齢を理由に、祭祀の簡略化の名のもと、拝所を御所に、装束もモーニングに改められたと聞き及んでおります。天皇は「禁中の作法は凡そ神事を先とし、他事を後とす」(順徳天皇・禁秘御抄)の教えを代々忠実に守られ、祈りを続けてこられました。その大御心を蔑ろにするかの如く、他の御公務を減らすことなく、宮中祭祀のみ大幅に簡略化が進んでいることを見逃してはなりません。「四方拝」の後、歳旦祭に臨まれますが、我が国のマスコミは年始に限らず陛下の御祭儀について一切報道をいたしません。おそらく宮中祭祀は「皇室の私事」との扱いであろうと思います。然し乍ら、本当に宮中祭祀は天皇個人の宗教や信仰、皇室だけの祭祀として扱ってしまって良いものでしょうか。宮中祭祀の中でも最も重要な祭儀に十一月二十三日の「新嘗祭」がありますが、神嘉殿で陛下が御自ら夜を徹して行われますこの新嘗祭をマスコミは全く報道いたしません。祭祀王たる天皇陛下の御一面は、国民には全く知らされていないのです。
今上陛下は、我が国の重大な事変を迎えたと思われた時には、無事に国難を乗り越えられますように、洵に熱心なる祈りを捧げておられます。そこには神代以来の神話に基づく祭祀、そして祈りの御心が受け継がれていることを忘れてはなりません。天皇陛下の祈り(敬神)のご精神を、これまで国民は敏感に感じ取り、天皇陛下の御存在が日本の国の安定に大きな力となってきたことは疑うべくもないことと存じます。神々に対する陛下の祈りは、国民がご先祖を敬う気持に相通じているのです。
戦後の占領教育の成果は恐ろしいほど根深く浸透し、二千年に亙って日本人の精神の支えとなってきたこの国柄を、長い歴史から見ればほんの一瞬で無くしてしまうかも知れない今の日本を、私たちのご先祖はどのようにご覧になるのでしょうか。最後にジャーナリストの斎藤吉久氏の
言葉を紹介します。 「天皇はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。テレビもインターネットもある情報化時代の現在、天皇の祈りはマスコミには載りません。天皇は昔も今も人の見ていないところで、国のため、民のために、祈りを捧げられています。それが日本の天皇なのです。」
- 平成21年11月1日・通巻第124号
常若のいのり
千三百年になんなんとする歴史をつないで、平成二十五年には二十年に一度の第六十二回伊勢神宮式年遷宮が執り行われます。平成十六年四月に陛下の御聴許(お聞き届け頂くこと)を仰ぎ、全国民の奉賛を頂きながら着々と準備が進められて参りました。この十一月三日には内宮宇治橋の渡り始め式が執り行われ、全国より百組近い親子孫の三代揃いの夫婦らがご奉仕して、盛大に渡り始めを行うことになっております。
また愛知県では熱田神宮が平成二十五年の創祀千九百年を記念して、御社殿のお屋根葺替えを始め、授与所神楽殿の改修御造営を竣功され、去る十月十日に本殿遷座の重儀を終えられたばかりです。
この他、出雲大社でも昨年より平成の大造営が始められ、御本殿の御修造が整う平成二十五年には、若返りを果たした御本殿に神さまにお還り願う本殿遷座祭が執り行われることになっております。また、神戸の生田神社でも式年造替が執り行われ、平成七年の阪神淡路大震災をも乗り越えて、美事に流麗に若返りました。
今年平成二十一年は天皇陛下御即位二十年の佳節にも当たり、全国の神社において記念事業として御社殿などの御造営が盛んに行われました。それにしても、この不景気の時代によくこれだけの御造営が全国で行われたと思いませんか。
これらの御造営は神さまのお住まいを新しくすることによって、神さまにも生まれ変わって更に御神威をまして頂く、常に若々しくあって頂くという、日本民俗の伝統的な考え方で神道の信仰でもあるのです。
稲作文化の永い歴史と伝統を持つ日本には、春にその年の豊作を祈り、秋に無事収穫できたことに感謝する自然や神への祈りの歴史があります。そして稲作には切っても切れない太陽への信仰が有ります。一陽来復、夕方光が弱くなって西に沈んだ太陽が、翌朝東から赤々と輝く新しい太陽として甦ってきます。
また、古来日本には、すべてのものに魂が宿るという信仰がありました。米には稲魂(いなだま)が、木には木霊(木魂・こだま)が、言葉には言霊が、国には国魂が、太陽には光の魂(日霊)があると考えられてきました。この魂と共に神をもリフレッシュすることで我が国は若々しく、いよいよ栄える、弥栄になると考えたのです。
伊勢の神宮の御社殿を二十年ごとに改め造り、神さまに新宮にお遷り頂くことで、国の魂を生まれ変わらせることが出来る。それによって国家は若返り、皇室も国民も平安に、そして永遠に栄えることを目指そうとしました。これを「常若・とこわか」と申して、いつも若々しく、永遠に続いていくことを意味しています。
日本民俗の祖先は稲作の体験から、生まれ変わって永遠に、常に若々しく生き続ける思想、常若の祈りを持ち続けて参りました。
岩津天満宮も本殿再興百年の平成二十三年を目指し、祖先の想いを体しながら、皆さまと共に常若の祈りを続けて参りたいと思います。
