• 平成21年3月1日・通巻第120号

公正無私なる祈り

天皇陛下には今年御即位より満20年、そして4月10日には御結婚満50年をお迎えになられます。洵にお目出度いことと心よりお慶び申し上げます。
ところで、近年陛下の御体調を慮ってとの理由で、宮内庁は御公務の負担軽減として各種大会での「お言葉」の取りやめや、宮中祭祀の御奉仕時間の縮小等を発表いたしました。
その宮中祭祀が陛下の御意志に関係なく、簡略化・空洞化されつつあるという問題を、真正面から捉えた一本をご紹介したいと思います。知人でもある宗教ジャーナリスト斎藤吉久氏の著した「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか~宮中祭祀の危機~」(並木書房)です。
紹介文に「天皇陛下御即位二十年の佳節に、宮内庁は宮中祭祀の「調整」を発表した。ご健康への配慮、ご負担軽減との説明だが、なぜ天皇第一のお務めである祭祀が狙い撃ちにされるのか?千年以上も国と民のために祈り続けられてきた天皇の伝統が、いま断絶の危機を迎えている。政教分離の名のもとに側近らが祭祀を破壊してきた知られざる歴史を検証しながら、たったお一人で祭祀を守ろうとされた昭和天皇と今上陛下のご心情に迫る。」とありますが、内容を少しご紹介しましょう。

ご存じ無い方も多いと思いますが、天皇陛下には御公務の他に年間三十数回の御親祭(ごしんさい)や御拝(ごはい)を行っておられます。特に皇室の重儀とする11月23日の新嘗祭(にいなめさい)には夕刻から深夜にかけ宮中神嘉殿に於いて2回、陛下が皇居内で収穫された新穀と各県から献上された新穀の御饌御酒を、皇祖・天神地祇にお供えになり、その年の収穫を感謝し御自身も神前で召し上がられます。

また四方拝と言って元日の早朝、陛下が黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着用され宮中三殿の神嘉殿前庭で、伊勢の両宮に向かって拝礼した後、四方の諸神を拝し、国家国民の安寧を祈られます。
その他、厳重な斎戒を重ね数々の祭祀をお勤めになっておられますが、大切なことは天皇陛下が常に国民の見ていないところで、只ひたすら「国中平らかに民安かれ」と「公正無私」の祈りを捧げられていることです。そして、それは決して天皇陛下の私事ではなく、天皇家の祖先崇拝でもなく、古から祭りの霊力でこの国を治めてきた統治者としての公的な祈りなのです。
第八十四代順徳天皇は、天皇にとって最も重要なことは神祭りであると言うことを伝えるために「禁秘抄(きんぴしょう)」を著されました。冒頭に「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす。」とありますが、今上陛下もこの伝統を大切に守り通され、祭祀に臨まれておられるのです。
神前に食を捧げて祈り、神々と一体化し、神威を受け継ぎ、衰えた生命力を回復させる。これが日本の祭りの本質です。

皇祖神である天照大神を至高至貴の神と祀る天皇の御存在は、ヨーロッパの国王のように強権を振るう政治支配者ではなく、祈りの力で国を治める「祭祀王」と言えるでしょう。歴代の天皇陛下は政治的権力や軍事力ではなく、神々を祀る祭りの霊力によってこの国を治めて来られたのです。
多様な国民を多様なままに統合するのが我が国の多神教文明の中心である天皇陛下の役割であり、宮中祭祀の機能でありますが、その文明の危機と言っても過言ではありません。
是非ご一読頂き、陛下が如何に国民に思いを寄せ、常に祈っておられるかを知って頂きたいと思います。

 

  • 平成21年1月1日・通巻第119号

橋本景岳と啓発録

新年明けましておめでとうございます。輝かしき平成二十一年己丑(つちのとうし)歳の新春を迎え、皇室の弥栄と聖寿の萬歳を寿ぎ奉り、岩津天満宮ご崇敬皆々さまの御平安をお祈りいたします。
今年の干支は岩津の天神様と縁の深い丑の歳です。さぞかし多くの皆さまが御縁を頂こうと御参拝になられることでしょう。江戸時代から境内中央に鎮座する青みかげ石の「撫で牛」も、皆さんのお越しをお待ちしております。

岩津天満宮を始め全国の天神さまの御祭神は「菅原道真公」であることは、既にご存じのことと思います。道真公は五歳で歌を詠み、十歳にして漢詩を創られ、神童の誉れ高き方でありました。では日本の歴史上で、道真公と同じように神童の誉れ高かった人物をご存じでしょうか。今の学校では教えられないかも知れませんが、幕末の日本史に名を残した越前福井藩士の橋本景岳(左内)がその人です。

橋本左内は幕末の激動期、天保5年(1834)に福井藩医の家に生まれ、号を景岳といいました。嘉永2年(1849)大阪「適塾」で蘭医学者緒方洪庵に学んだ後、越前福井藩主松平春嶽に才を見いだされ二十歳で江戸へ留学、水戸の藤田東湖や薩摩の西郷隆盛等と交流を結びます。黒船来航を契機に攘夷派、開明派と国論が二分するなか、一橋慶喜の将軍擁立に奔走するなど国事に身を投じますが、時の大老・井伊直弼の安政の大獄により小塚原刑場で斬首され、二十六年の短い生涯を閉じました。
彼は十五歳にして自身を奮起させるため「啓発録」を著しています。

第一に 稚心を去る(去稚心)
 本気で勉学(物事)を行おうとするときは、大人としての自覚を持たねばならない
第二に 気を振ふ (振気)
 本気になるには心を奮い起こし、不退転の気概を持たねばならない
第三に 志を立つ (立志)
 一と二の上で、志を立て、自身の進むべき道を定める
第四に 学に勉む (勉学)
 志を立てた以上、勉学に励むことが必要である
第五に 交友を択ぶ(択交友)
 友の中には益友と損友がある。真に良き友と交わってこそ、勉強する者にとって大変必要な事だ

親はよく子供に「勉強しなさい」と口にします。しかし、景岳は十五歳にして勉強するのは稚心を捨て、気を振い、志を立てた後に学に励めと言っているのです。
また蘭学を修めたことによって当時の世界の情勢に精通しており、この時代に、既に世界を見る広い視野を以て日本の進むべき道を自覚していました。幕末日本の優秀な頭脳の一人として、西郷隆盛や松平春嶽らに大きな影響を与えたのです。
景岳は啓発録を実践し、二十歳そこそこの歳で、世界情勢の中、日本は国を開き技術文化を先進国に学び、我が国の精神を大切に国の富強を謀るべきで、洋の学問を善く興せば、我が国にとって得るところは大きいと考えていました。彼の考えは、菅公のご精神「和魂漢才」とも相通ずる「和魂洋才」の精神でもあったのです。
橋本景岳は没後百五十年の現代を、どのように感じているのでしょうか。

 

  • 平成20年11月1日・通巻第118号

中根豊総代を悼んで

平成20年8月27日朝、ご尊父である株式会社中根組会長中根義雄様からお電話を頂いた瞬間、貴方の事が頭をよぎったのでした。予感は的中、前日貴方がお隠れになったことを拝聴し、乱れる心を平静に保つのに必死でした。ご尊父から今際の際の事などお聞きしたいと思いましたが、返す言の葉も見つかりませんでした。
 はやる心を押さえながら、当社の関係者に連絡を取り、今後のことなどを考えておりました。当社名誉宮司にも早速知らせました。予想はしておりましたものの、こんなに早く逝ってしまわれるとは思いもよりません。昵懇にさせていただいておりました父名誉宮司にも、大きな衝撃であったと思います。

貴方と最初に出会ったのは、昭和55年当社ご本殿の造営中、大林組から中根組に帰られ、森田監督と共に挨拶に来られた時でした。
その後青年会議所で同士として活動し、私が昭和60年に理事長を受けたとき、誰よりも貴方に専務理事をお願いさせていただきました。いろいろな事業を立案計画しても、貴方は総ての段取りを完璧にこなされ、特に創立25周年記念式典では、黒子に撤しながらの采配は見事なもので、却って貴方の名声を高めることになったのです。そのお陰で無事に一年間を勤め上げることが出来、その時苦労した仲間はいまだに家族ぐるみのお付き合いをさせていただいております。

岩津天満宮の数々のご造営では、中根組の部長・専務の時代を通して、まるで我が事のようにお世話を頂き、三日と開けずに社務所へ通ってくださいました。特に昭和62年から63年にかけての社務所飛梅殿の造営工事では、計画準備期間に五年ほどをかけ、一緒に全国の名だたる神社の施設を拝見し、多くの参考を得る中で基本設計を練り上げることが出来ました。
飛梅殿造営を中根組の看板工事として、誠心誠意の施工のお陰で御造営も立派に竣功し、ご神域も面目一新、境内の荘厳さを一段と増すことが出来たのです。
その後、境内の長七庵、市道の参道をまたぐ特殊合金製の一の鳥居の建立。宮司が交代して平成14年には岩津天満宮御神忌千百年大祭記念事業の手水舎の造営、「和魂漢才」記念碑建立と堅実な仕事を行ってくださいました。

平成16年12月1日には社長に就任され、その年末に水洗式公衆トイレを竣功し、参拝者の便を図ることが出来ました。そして平成19年春の余香殿改築着工と同時に、境内西南の石垣改修、平成20年の余香殿竣功、玉垣建立と、境内の整備完了を見届けるようして、貴方は逝ってしまわれました。

平成10年には請われて当社の神社総代に就任され、爾来数々の祭典行事に積極的にご協力いただき、大きな支えになって下さいました。今年の6月25日の御誕辰祭・月次祭には、体調の優れぬ中を押して、奥様に付き添われ参列下さいました。今思えば、天満宮の皆に暇乞いにお越し下さったんですね。
今の私があるのも、30数年来の貴方の支えがあったからと申し上げても過言ではありません。私の長男が神職の資格を取得して神社に籍を置き、「これから私が彼を支えていく」と仰って下さった時はどれほど嬉しかったことか。最年少の神社総代として、これからも当社の大きな支えとなって下さることを期待いたしておりましたのに。
常に周りに気を配り、間違いのない仕事が出来る有能な貴方は、建設業界はもとより、神社の総代としても、その人柄と卓越した手腕をもって将来を嘱望されていただけに、洵に残念でなりません。
残されたご家族には、微力ではありますが力になって参りたいと思っています。

中根豊さん、どうぞ安らかにお休み下さい。