• 平成17年4月1日・通巻第102号

常若(とこわか)の祈り

今年は、来る平成二十五年に執り行われます第六十二回神宮式年遷宮の、最初の儀式が行われる年にあたります。
天皇陛下の御治定(お定め)により、御杣山(みそまやま)が木曾谷国有林と裏木曾国有林に決定され、遷宮諸祭の最初の重儀である山口祭と木本祭が、五月二日に内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)で執り行われことになりました。
そして、御杣始祭(みそまはじめさい)と裏木曽御用材伐採式が六月三日に執り行われ、御樋代木(みひしろぎ・ご神体を納める器をつくる用材・御神木)が長野県から岐阜、愛知をお通りになって、三重県へ運ばれます。

愛知県では一昨年からこの御神木奉迎送行事の準備を始め、関係各位の御協力を得て今年六月六日から八日までの三日間、沿道の各所で様々な行事が予定されています。
想えば、二十年前の昭和六十年、第六十一回神宮式年遷宮に際し、御神木奉迎送が当時愛知県神社庁長であった服部貞弘岩津天満宮名誉宮司の陣頭指揮で行われました。当時私も広報担当として三日間ご奉仕したことを、昨日のように記憶しております。

伊勢神宮の式年遷宮は、約千三百年前から国の制度として二十年に一度、「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」のご正宮がいつまでも新しく、変らぬ姿であり続けるために造り替え、永遠をめざして来たのです。
なぜ二十年毎かについては、二十年が人生の一つの区切りであるとか、技術を伝承するためにも合理的な年数であるとか、掘立柱に萱(かや)の屋根という素木造り(しらきづくり)のご社殿の尊厳さを保つためには、二十年がふさわしいとか様々に言われています。しかし、世界には永遠を理想とした石造の古代神殿が数多くありますが、世界の建築家、文化学者は「伊勢の神宮は世界建築の最高峰だ」と絶賛しています。それはなぜかと言うと、原初の形がいつまでも、どの時代にも存在して、しかも今も昔と変わることなく日々のお祭りが行われているからです。
二十年ごとに生まれかわるという発想は世界のどの国にも見られませんが、日本人は新しいお社を造り大神様にお遷(うつ)り願うことで、更に輝かしい力強い御光をいただき、日本の国の「いのち」が更に新鮮に、国全体が若返り、永遠に発展するよう祈り続けてきました。

私たちは親から「いのち」を授かり、その「いのち」に生かされています。それは、遠い祖からその「いのち」を預かっているということで、だからこそ「いのち」は尊いものであり、私たちはこの「いのち」を大切に子孫に伝えていかねばなりません。
この尊い「いのち」の働きを日本人は「カミ」と仰いできました。年が改まる毎に、お社を造り替える毎に、日本人の「いのち」が常に若々しく蘇るように求めて止まない常若(とこわか)の祈りを、遷宮の諸儀式に垣間見ることが出来るのです。

 

  • 平成17年1月1日・通巻第101号

言霊の幸はふ国

日本の各地には正月の伝統行事が数多く残されていますが、それも地域で伝承出来ないところでは、次第に消えていってしまうようです。
同様に、私たちの日常語である言葉「国語・国字」も、方言も含めて本来の美しい日本語が廃れていってしまうような気がしてなりません。現代はインターネットや携帯電話が普及して、言葉で話すよりメールなどでやり取りする機会が多いようですが、正しい日本語はなかなか使われていないようです。
随分前、本来の名古屋弁を年配の女性が話される様子をテレビで見たことがありましたが、まるで京都弁のような、いや京都弁より上品な感じがした事をはっきりと記憶しています。恐らくもう聞くことは出来ないと思いますが。

万葉集巻八の山上憶良の歌をご紹介します。
神代より言ひ伝て来らく
そらみつ大和の国は 
皇神の巌(いつ)くしき国
言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と
語り継ぎ言ひ継がひけり・・・

日本は「言霊の幸はふ国」と、祖先より語り継がれ、言葉を非常に大切にしてきた国・民俗であることはお分かりと思います。日本の季節毎に微妙に移り変わる四季折々の、自然の素晴らしい情景を敏感にとらえ、実に美しい歌や文章で表現出来る、複雑な認識を祖先達は持っていたのです。

日本人の自然の微妙な変化に対する鋭敏な感覚、細やかな変化を正確に把握する繊細な神経が、西洋人では理解出来ないような美意識を育ててきたのでありましょう。
千二、三百年前、我々の祖先はすでに優れた言葉を持っていました。ところが文字を持っていなかったので、奈良時代に極めて発達した文字を持つ中国からこれを学んで国語を表記し、更に平安時代に仮名を発明し、それ以来美しい音韻を持つ「漢字仮名交り文」が九百年以上にわたり、日本文化を守り育てて来たのです。
昭和21年にアメリカの主導で、日本の過去は全て悪であるとばかりに半年足らずで漢字の使用を制限した「当用漢字表」と「現代仮名遣い」の国語改革が行われ、その後多少手を加えられ現在に至っています。
しかし多くの日本人が、世界的に誇る日本の古典文学を原文では読めなくなってしまいました。我々の周りにある日常の多くの事柄を表記してきた漢字でさえ、学校で教えられない、使えない事になっています。

今世界は民俗のアイデンティティの確立と再認識の時代に入ったと言われています。民俗のアイデンティティとは歴史伝統であり、文化であります。そしてその根源になるのが言語、国語なのです。
私どもは日本人であり、日本人以外の何者でもありません。今一度、私共日本人の拠って立つところ、言霊の幸はふ国の国語を見直さなければならないと思います。

 

  • 平成17年1月1日・特別寄稿

特別寄稿 戸田提山先生を偲んで

岩津天満宮と深い御縁を結んでおられました書家の戸田提山先生が、平成16年11月8日に享年87歳で逝去されました。ここに謹んで哀悼の誠を捧げたいと思います。
先生は20数年来、岩津天満宮に篤いご崇敬をお寄せになり、日展を始めとする数々の作品展で、大作をお書きになる前には奥様共々必ず当社へご参拝になり、熱心に祈りを捧げておられました。その甲斐あってか、平成元年には日展で内閣総理大臣賞を受賞され、平成5年からは現代書道二十人展に招かれ、その後も数々の作品を世に送り出されました。

岩津天満宮には先生の代表作の内「雷」「大」「降臨」他数点を奉納いただき、多くの参拝の皆様にご覧いただいております。
また、平成8年に建立された岩津天満宮参道をまたぐ一の鳥居の扁額は、わざわざ京都まで出かけられ、北野天満宮の三光門(中門)の後西天皇御宸筆を視察された上で書かれたという先生の魂の込められた水茎の跡であります。
さらには、岩津天満宮御神忌千百年大祭記念碑の「和魂漢才」は、奥様の看病をなさりながら千々に乱れんとする心を糺され、まさに魂を込め気迫で書かれた大作であります。岩津天満宮境内に、知の息吹を吹き込んで下さった作品となりました。
平成16年10月発刊のてんじんやま百号記念号に「米」を揮毫頂き、また「岩津天満宮と私」と題して特別寄稿もいただきました。岩津天満宮にとりまして、この水茎の跡と言の葉が提山先生の遺作となってしまいました。

高い識見の先生は、そのことを一つも鼻にかけたりなさらず、こちらの知識の無さや考えの及ばないところも優しく見守って下さる、そしてそのことをあとから気づかせて下さる、そんな先生でありました。おそらくご自身に対してはとても厳しい先生だったと拝察いたします。私どもも先生とのお付き合いの中で、随分多くのことを学ばせて頂きました。数々の想い出が回顧され、思慕の念を禁じ得ません。心から御礼申し上げます。
今更ながら先生のご逝去に深い悲しみを覚えると共に、御在世中に賜りましたご恩に深く深く感謝申し上げ、謹んで哀悼の誠を捧げご冥福をお祈りいたします。

 

  • 平成16年10月1日・通巻第100号

豊葦原の瑞穂の国

コメはとてつもない力を持っています。稲から採れる「コメ」はまさに命の根っこ(イネ)。生命力を宿す(稲魂(いなだま)・穀霊(こくれい))ことは勿論ですが、邪気を祓う霊力を持つと信じられてきました。
日本人は悠久の歴史の中で、自然の森や土や水と相談しながら、感謝の祈りを捧げながら、大切なコメを作り、コメの尊さを学んできました。そして大切な稲は、籾殻(もみがら)、糠(ぬか)、藁(わら)と、全てを人の生活に全く無駄なく利用する知恵をも学んできました。
コメ作りは、日本のありとあらゆる文化の源であり、まさに日本文化は「コメの文化」なのであります。「コメ」を語ることは、水を語ること、土を語ること、森を語ること、そして地方・国を語ること、地球環境を語ること、日本人として生きる道を語ることにつながっていきます。
天皇陛下が毎年お田植えや稲刈りをなさっておられることを、皆さんご存じだったでしょうか。

昭和天皇様は皇居・吹上御苑内に水田を開かれ、稲作をなさいました。その大御心(おおみこころ)をお継ぎになり今上陛下も、お田植えと稲刈りをなさっておられます。
日本書紀に、ニニギノミコトが高天原からこの国土へ天降られる(天孫降臨)時、天照(あまてらす)大御神(おおみかみ)から「吾が高天原にきこしめす斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、又吾が児(みこ)にまかせまつるべし」と命ぜられ、稲穂をお授けになられました。
高天原で育てられていた稲が、初めて葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)で栽培される、我が国の稲作の始まりです。
実に陛下はこのことに習って稲作をなさっておられるのです。

伊勢の神宮の最も重要なお祭り、10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」には、皇居内で陛下自ら刈り取られた稲の初穂を、勅使を遣わし内宮外宮の内玉垣に懸税(かけちから)としてお供えされます。そして御自身は皇居から神宮を遙拝され「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。
又11月23日の皇室第一の重儀である新嘗祭(にいなめさい)を、宮中三殿の神嘉殿で陛下御自身が育てられた稲と、全国から献上された米・粟と御神酒を捧げられ、そして瑞穂の国を知らしめす王として御自身も神前で召し上がり、コメの持つ霊力を身につけられるのです。
また当日陛下は神宮に勅使を派遣し奉幣され、全国の神社でも新嘗祭が行われます。

10年前、元の奈良・薬師寺館長の故高田好胤さんが講演で「地方で講演の後御馳走になり、美味しいからと進めて頂きますが、私は新嘗祭が済むまで新米を食べません。それは陛下が新嘗祭で初めて新米を召し上がるからです。」と話されたことが忘れられません。
日本が米作りを忘れた時、それは日本が日本でなくなる時でありましょう。