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当社は正式には「岩津天満宮」と称します。但し、古くより「岩津の天神さん」や「岩津天神」として親しまれて参りましたことから、通称名として「岩津天神」と称しております。
ここは三河の国(現在の愛知県)岡崎、岩津山。
その頂上から見下ろせば水清き矢作川と、豊かな実りを産む平野が広がっていました。ある時、岩津山の空が急に暗くなると共に、天と地をふるわせるばかりの雷鳴がとどろき渡りました。そして、はるかな天空から剣のような稲光りとともに、芭蕉の葉に乗られた天神様・菅原道真公(菅公)が岩津山の山頂に降臨(降り立つ)されたのです。
これが学問の守り神として多くのみなさんの信仰を集める岩津天満宮の起こりです。
江戸時代、信光明寺の22世一誉上人が、将軍拝賀の江戸への途次病にかかり、土地人の勧めで天満宮に心中祈願したところ、病はたちどころに回復しました。
霊験に感激した上人は、帰途、鎌倉の荏柄山天満宮に参拝しご分霊をいただき、信光明寺の観音堂に祀りました。「我を四辺眺望の地に祀るべし」との夢枕に立たれた天神様のご神託により、御神霊の鎮まります東山の現在地に社祠を建立して、お祀りしました。ときに宝暦九年(1759)。
その後、
信光明寺の布教により、病除け・健康祈願の御利益を願う善男善女の信仰を、広く集めて参りました。
明治の神仏分離により信光明寺の所管から離れ、岩津天満宮は神社として地元岩津の村が管理して参りました。しかし、明治12年の火災で堂宇は悉(ことごと)く烏有(うゆう)に帰し、苦難の時代を経て参りました。
この頃、越中立山の芦峅寺(あしくらじ)、大阿闍梨鑁禪(ばんぜん)(佐伯鑁禪)師が三河地方布教の折に、碧南新川の人造石発明者服部長七の屋敷を常宿にしておりました。加賀の前田候の血筋を受け継ぎ、篤い天神信仰を持つ大阿闍梨は岩津天神の窮状を憂い、大起業家の長七翁に援助を依頼しましたが、翁はこれを快諾し、万般を引き受けて師と共に社殿再建の為に奔走いたしました。
そして明治33年6月に臨時祭典を執行、明治44年に御本殿を、前後して社務所・直会殿を建立。そして大正8年に現在の拝殿を造営し、それを見届けるかのように、長七翁はその年の7月18日、境内の一隅で帰幽いたしました。
その後、長七翁の遺志を継ぎ、跡取りの服部廉平(元現議会議員)が神楽殿を造営、昭和16年、孫服部貞弘(現・神社本庁長老・岩津天満宮名誉宮司)が宮司となってから数々の御造営を為し遂げて、今日の岩津天満宮の御神域殆どすべてを作り上げて参りました。
平成10年1月曾孫に当たる現服部憲明宮司となって以降、長七翁以来の遺志を継ぎ、岩津天満宮の御神威を更に輝かしめ、ご崇敬賜ります皆さまの篤志の報いるためにも、平成14年の御神忌千百年大祭の記念事業や、境内整備に力を盡して参りました。
このように岩津天満宮は、信仰と眺望の霊山として、天神様を慕い敬う善男善女の集うお社となりました。岩津天満宮の歴史は250年ほどではありますが、信光明寺の努力で、江戸時代から尾張、三河、遠州などから多くのご崇敬をいただいてまいりました。
神社となってからの明治時代の始め、病弱であった子供の頃の豊田佐吉翁が母親に強く勧められ、健康祈願の為に当社まで歩いて参拝に見えました。
この時のことは豊田佐吉記念館にパネルで紹介されています。
また前述の如く、岩津天満宮の中興の祖、碧南市新川の出身の人造石の発明者・服部長七翁も、岩津天満宮に厚い崇敬を寄せてこられました。
大正9年10月には日本民俗学の創始者、柳田國男先生が、岡崎での講演会の折に参拝に来られています。
岩津天満宮には氏子区域や氏子はありませんが、このような多くの努力や篤いご崇敬に支えられ、今日に至っております。
A TALE OF IWAZU TENMANGU SHRINE
This is the Iwazusan, in the city of Okazaki,
of the land of Mikawa(Now Aichi Prefecture).
From the top of this hill, the clear stream of the Yahagi
River and the plains which bear the rich crops could be
seen.
One day, just when one had the chance to realize that the
sky above the Iwazusan suddenly darkened, there was a big
thunder which shook the ground and the sky.
Then out of the sky, The Kami of Tenjin Sugawara Mitizane
appeared at the top of the Iwazusan. He appeared in a light
which shone like a sword.
This is the begining of The Iwazu tenmangu, which is believed
to be the Kami of knowledge.
It was around 1759 when the buildings were built on the
hills of Iwazusan, where the spirits sleep.
It all started when the spirit was welcomed and worshiped
from the Egarasan Tenmangu of Kamakura.
It came with the message "Enshrine me where I can be seen
from every angle".
