服部長七はこの頃郷里である碧南・新川に居を構えていた 国家事業・広島宇品築港をはじめ数々の難工事、
大工事を成し遂げた長七も還暦を迎えようとしていた 服部長七
この新川の邸宅こそ何と大阿闍梨・鑁禪師の三河布教の折の常宿となっていたのである 鑁禪師は岩津天満宮の窮状を詳しく語りその復興支援を長七に頼み込んだ
長七自身神仏への思いがことのほか深く また若かりし頃の岩津天満宮での不思議な出来事を鮮やかに思い出したに違いない 師からの支援の依頼を一も二もなく快諾した
単に資金援助にとどまらず 師と共に奔走 途中からは自らも天満宮に住み込みおよそ岩津天満宮の再興に残りの人生をすべて注いだ およそ20年に亘る再興事業であった
服部長七翁 大正8年現在に残る拝殿の造営を成し遂げ長七は境内の一隅で帰幽 享年80歳 以後 服部長七翁は岩津天満宮中興の祖として国のために尽した数々の仕事と共に語り継がれることになる
岩津天満宮は天神様の御神霊鎮まる天神山に御神徳に導かれた人々が魂を注ぎ築き上げた篤き信仰の場である