
本日は服部長七翁とアンコール遺跡との不思議な関係についてお話をしたいと思います。
アンコール遺跡はカンボジアの首都プノンペンから北西に300キロぐらい飛んだシムリアップという町にございます。9世紀に勃興したクメール文化、その最盛期は12~13世 紀位、これがアンコール朝と言われるアンコール文化の最盛期です。インドシナ半島のほとんどをクメール文化が覆った時代です。
アンコールワット遺跡群は広さには東京都区全部を合わせた位の面積が有ります。その 遺跡群の中心から1.5キロぐらい北にアンコールトムという都城が有ります。一辺3キロのお城で、最盛期には百万人近い人が住んでいたそうです。周辺に500万立方メートルの水が貯められるお堀があります。乾季と雨季があり、乾季の水をどの様にコントロールするかが国を治めるための最大の技術になる訳です。
その町の丁度ど真中に、バイヨンという寺院がございます。その修復を日本のアンコール救済チームがやっており、そこに長七翁の人造石の技術「長七たたき」が使われた、簡単に申しますとそういうことになります。
寺院には沢山の列柱が建っており、高い所で30数メートルの高さがあります。これの基壇(土台)は約5メートルの盛土をしてあって、その上に砂岩で寺院を作った。従って土台の上にはもの凄い力がかかる。この土台をしっかりさせないと上の構造物を支えられない。建造された時から既に700年近い時間が経っており、今崩壊の危機に至っている。
これを救済しようというのがユネスコの仕事です。色々な国が分担をしてやっていまして、一番大きいバイヨン寺院を日本の救済チームがやっています。
さてここで、「長七たたき」とアンコールとが何故つながったかということをお話しなければいけません。
そもそもは1994年のことです。僕はこれまでに無い違うアプローチ、エネルギーを使わず、地球の環境に負荷をかけない物を作れないかということを考えておりました。要するに人間と地球の関係をどういう切り口で考えたらいいか、そのような見方から材料を作りたいとずっと思い、材料を作ってきたつもりです。そして最後に行き着いたのが土でした。土というのはすごい。
「土」は地球の歴史からいうと最近出来ている。地球の歴史が47億年有りますが、土ができたのはたった4億年前です。それまで土というのは無かった。海以外、陸地の上には砂と石しかなかったんです。今から4億年前にやっと今と同じように酸素が20%、チッ素が80%の大気になりました。
すると過剰な酸素というのが上にずっと上がってオゾン層を作ります。オゾン層は実はたった3ミリの層なんです。
この3ミリのオゾン層が紫外線を地上に届かなくしている。紫外線が地上に届かないから、海から動物や植物が地上に上がる。そして地上に上がった植物、動物の糞とかあるいは腐った有機物、それらが風化した岩石や砂を土に変えてきた。土がなかったら今の人間はもちろん、地球の循環というのは有り得なかった。緑も出来ません。
その様に最後に「土しかない」と結論に至ったのは今からたった4、5年前です。
では、その土をどうやってエネルギーを使わず、我々の身近な材料に変えることができるのか、いろんなことをやり、いくつか新しい材料も作りました。作りましたが、フト思うと我々の身近には土を固めた材料は一杯ある訳です。例えば、土をあるがままに使った竪穴式住居、横穴式住居。紀元前7千年位前です。そしてそれを練るとか「たたく」という技術を芸術の域まで仕上げたのが日本人。
それが日本の左官の仕事でございます。
ところがその左官の仕事をもう一回学問的に見てみようと思うと記録が何もないんです。実は明治の時にヨーロッパから入らなかった学問は、一切技能としてしか残っていないんです。大工や左官の技術がそうです。日本の伝統文化として学問されていないんです。これはショックでした。とにかく文献を見ても何も判らない。左官屋さん何人かに聞きました。土を固めるのはどうするのか石灰を入れる所迄は皆同じなんです。ところが「うぐいすの糞がいい」とか「塩水をかけて練るといいんだ」とか。
後から考えると全部筋が通っていたんですが、工学を学んできた私にとっては何を言っているのか訳が判らない。途中まではいいのですが、後入れるものが判らない。
そんな時にお会いしたのが米本平一氏です。米本氏からいろんな左官の話を聞きました。が、結局疑問は残りました。でも判ったことが一つ、左官は思っていたより、とてつもなく大きい仕事をした人がいたという事です。
僕にとっての左官業というのは壁を塗るというイメージでした。或いはせいぜい塀を造る、倉を造る。ところが、今のセメントがない以前の話では土木の根幹を成していた。そういう人がいたことを知らなかった。ものすごく恥ずかしかったです。
それを米本氏から教えて頂いて、僕は岩津天満宮の服部名誉宮司様をお尋ねし、そして長七翁の話を色々伺いました。
長七翁は1840年にお生まれになり、一番最初に夫婦橋を作ったのが1873年。それから服部新田、宇品の築港(現・広島港)の仕事をして、一番最後の大きな仕事が1902年の名古屋港になると思いますが、その間のお話を聞いた。「凄い、とてつもない人がいたんだ」と感動しました。
何で土を固めることで今のセメント土木の技術が昔出来ていたんだろう。色々な資料を戴き、工学的な目で見させて頂いた。とんでもない事が判りました。ものすごいメカニズムで固まっているんです。石灰を入れるという事は想像がつきます。ところが服部長七翁がやられた資料をずっと分析をし、顕微鏡で見て徹底的に突き詰めていくと、とんでもない科学反応が起こってることが判りました。
沢山の方々に何度も教えて頂き、その結果として「たたき」という技術、長七翁がやられた仕事というのがこれは伝統的技法ではないんだと、科学的に見てもあるいは工学的に見ても世界に冠たる技術だ、ということが判ってきました。
その間、僕たちの仕事は日本ではあまり取り上げられなかったのですが、海外で発表や仕事をした関係で、外国の新聞にはよく取り上げられたようです。それを見たユネスコの方が我々の仕事を評価してくれ、たたきの可能性を考えてみようということになり、アンコール遺跡の修復に使ってみたという訳です。
何故なら、今迄のアンコールの修復は一番上の構造物に文化的なところがあり、非常にお金を使っていた。しかし基盤の部分、先程言いました5メートル位土を盛っている部分にはあまり科学的な考察がされていなかった。極端に言うとセメント以外に考えられなかった。ところがよく考えてみますと、セメントは空気に触れると弱くなるんです、どんどんと。
例えば四日市の潮吹き堤防は百年以上経っていますが、ビクともしていません。 あれを見た時は僕は本当に足が震えたのを今でも覚えています。セメントで堤防を作って一体何年もつか、機能するのはだいたい12年~15年です。それより先は塩害でやられてしまう。
20世紀最大の発明だと言われたセメントも、実は何百年もつか判らないんです。
そして、最後の仕上げのお話をいたします。僕たちがやった仕事をきちんと整理しようという訳で、様々な実験結果をまとめたものを岩津天満宮の服部長七翁顕彰碑の横に納めさせて頂きました。塚の中にはいろんな方法のたたきが収められています。これから百年たってどんな可能性があるか本当に楽しみです。
今回、色々な方々のご配慮で長七翁の仕事を学術的な面から少しだけ見させて頂きました。でも残念ながら長七翁を超えていません。長七翁がやられた水中固化、このメカニズムについてもうひとつ判らない。未だ長七翁の足元にも及ばないのかもしれません。
しかし長七たたきを通して人と人のネットワークができました。名誉宮司様は「今回出来たネットワークをもっともっと大事に」と仰いました。名誉宮司様ご自身もこれからもアクティブに、そしてさらに若く、我々を又お叱り頂きたい、と願っております。
今日は本当にありがとうございました。
(平成10年7月18日・岩津天満宮講書ホールにて行われた石田博士講演より抜粋)

